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グッチバンブー 【gucci bamboo】  



Gucci Fashion Show SS07


グッチバンブーとは?
グッチといえばバンブー(竹)を使ったデザインが代表的です。
グッチバンブーは、グッチブランドの代表的モチーフとして多用されています。グッチ創業後の早い段階から数多くのバンブーデザインが生み出され、その洗礼されたグッチバンブーの商品は、グッチのシンボルともなっています。

 **竹を用いたグッチバンブー図鑑は後記してありますのでご覧ください



グッチ 波乱万丈の歴史

1881年、帽子を製造する家に生まれたグッチの創立者、グッチオ・グッチ(Guccio Gucci)は、青年のとき家から飛び出した彼は、ヨーロッパを放浪します。20世紀初頭、ロンドンのサヴォイホテルでエレベーターボーイとして働き始め、この時のにホテルを訪れた上流階級のエレガンスやフランスなどでの洗礼された文化を目のあたりにします。

フィレンツェに戻るとアンティークショップに勤め、その後皮革会社で貿易やマネージメントに携わり、第一次大戦後はレザークラフトの会社に勤務し、革の選別法やメンテナンスを覚え、ローマ支社の支配人となります。

そこで経営手腕を発揮した彼は、1921年フィレンツェのヴィグナ・ヌオヴァ通りに自分の店を開く事になります。

2軒目の店を1923年にパリオーネ通りに開いたグッチは、ブランド商品の元祖となる品質保証をするための、世界で初めてデザイナーの名前を入れたダブルGのモノグラムを販売し始めます。

そして1938年、ローマのコンドッティ通りにも店をオープンします。「最上の伝統を最上の品質で、しかも過去のよいものを現代に反映させる商品作り」をモットーに世界的な成功の道を進み始めます。

1947年、グッチの定番ともいえる持ち手に竹を使ったグッチバンブーバッグが登場します。第二次世界大戦の影響により、経済制裁されたイタリアでは革が不足。革の大半を輸入に頼っていたグッチは困難な立場に立たされ、今ある革を少しでも減らさないように持ち手を竹で代用したのがバンブーバックの始まりです。

1940年代後半、ロンドン、パリ、50年代にニューヨーク、ロサンゼルスと海外市場進出したグッチは、60年代には更にバンクーバー、東京、ケープタウンに進出します。 グッチには6人の子供がおり、その中のアイド グッチ(三男)がハリウッドで映画関係の仕事をしていた際、グッチ製品を映画の小道具として使い、アメリカの女性の間で好評を得る事に成功します。

エリザベス・テーラー、オードリー・ヘップバーンらハリウッドスターや、ジャクリーヌ・ケネディら世界の“セレブリティー”たちの御用達となって絶大なる人気を得ることに成功したグッチ。

また1956年、モナコのレーニエ皇太子(現国王)と女優、グレース・ケリーの結婚式の招待客の贈り物に、グッチのスカーフが選ばれたのでした。

グッチオは1953年に死去。グッチオ亡き後は、三男である息子アルドが経営の中心となり、1965年ビットモカシンそして68年はレディスウェアを発売します。そして70年代には香水も発売。

しかし、80年代に入ってから、以前から問題になっていた内紛が表面化します。その為グッチのブランドとしての勢いも低迷し始め、倒産すら噂されるほどに経営が悪化したのです。

グッチは当時、グッチオの4人の息子、アルド、バスコ、ウーゴ、ロドルフォによって運営していましたが、アルドの息子パウロは、父親の経営方針に反抗し分裂します。パウロの目標は、とくにアメリカ市場において、グッチは高級思考ではなくいわゆる平場にも置けるような低額商品にも進出する事だと考え、独断で「PGコレクション」、「パウロ・グッチ」を展開します(これらの商品は現在、グッチの正規商品とは認めておらずメンテナンスなどは受けられません)。

これが一族の反発を受け、パウロはファミリーから追放。パウロは反撃に転じ、1982年、米国CBSテレビのドキュメント番組「60ミニッツ」で「取締役会において暴力による制裁を受けた」と発言し、父親を脱税の罪で告訴。その事によりアルドは逮捕されます。

パウロは父親の影響力を排除するため、自らの持ち株を一族の中で後継者とされていた一番仕事熱心だったロドルフォの息子、マウリッツィオに提供します。逆にアルドら他のファミリーはマウリッツィオに反抗する形で株をアラブ系投資グループのインベストコープ社に売却。骨肉の争いの中、マウリッツィオは3代目の後継者となり、倒産寸前の運営を任されることとなったのです。

こんな中、マウリッツィオは1989年、ドーン・メロウ(バッグドーフ・グッドマンの女性社長)をクリエイティブ・ディレクター兼副社長として招きます。そして彼女はジェフリー・ビーンのデザインチームにいたリチャード・ランバートソンを採用します。

ランバートソンの強い推薦により、1990年、彼女がレディースのデザイナーに採用したのが、トム・フォード。トム・フォードは、ウェア、アクセサリー、ギフトなどグッチの11にも及ぶラインのデザインを、ほとんど一人で手がけ、91年には中断していたウェアコレクションを復活させた凄腕の一人。

このトム・フォード(Tom Ford)という男は1962年、アメリカ、テキサス州生まれ、演劇、コマーシャル業界でのキャリアを持ち、パーソンズ・スクール・オブ・デザインでインテリア・アーキテクチャーを専攻。ペリー・エリスなどでキャリアを積み、90年にランバートソンに抜擢されグッチのデザインスタッフに加わる。スタイリッシュなコーディネートとゴージャスな素材使いで世界中にグッチ・ブームを再燃させる事に成功した人物である。

しかし経営の悪化は益々深刻化し、マウリッツィオは1993年、インベストコープ社に株のすべてを譲渡します。グッチは70年に及ぶ家族経営としての体制に終止符を打ちます。2代目アルドは既に90年に死去し、マウリッツィオも93年に離婚した元妻パトリシオに95年射殺。

そしてパウロの息子、ロベルトは「House of Florence ハウス・オブ・フローレンス」というブランドを興し、娘のエリザベッタは「DIDI」というブランドを興したが、グッチ売却時の契約により、自らのファミリーネームである「グッチ」という名前を使用することができず悪戦苦闘。

インベストコーブ社は再建に着手し、新たにグッチ・グループN.V.社が設立され、だったドメニコ・デ・ソーレ(Domenico de Sole)(弁護士、84年からグッチ・アメリカ社の社長)がCEOに就任する。そしてドーン・メロウは自分の後任のクリエイティブ・ディレクターにトム・フォードを推薦。ここに現在のデ・ソーレとフォードのグッチ再建体制が完成する事になる。

トム・フォードは今までのエレガンスなクラシック路線ではなくファッションモードを新たに打ち出し、94年10月、レディスコレクションで「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンをイメージしたフェミニンなスカートやキュートなモヘアセーターを発表します。そのことにより、93年には2億ドルだった売り上げは99年には12億ドルまで拡大することに成功します。

インベストコープ社は95、96年と株を公開し、持ち株をすべて売却。グッチはイタリア・ファッション産業界の中で、初の株式を完全公開した企業となった。

しかし、2003年11月、グッチ・グループの最高経営責任者(CEO)ドメニコ・デ・ソーレとクリエィティブ・ディレクターのトム・フォードが2004年4月30日付で退任すると発表。グッチとピノー・プランタン・ルドゥート(PPR)(フランス持ち株会社)の間にはブランド・コントロール、とくにYSLに関して対立があったとされ、株主として自分たちでコントロールしたいPPRと「ブランドビジネスを理解できていない」彼らとフォード及びソーレは合意できずに終わります。

そして2004年1月14日のグッチ、ミラノメンズコレクション。1月26日のリヴ・ゴーシュのパリメンズコレクション。2月25日のグッチ、ミラノコレクション。3月7日のリヴ・ゴーシュのパリコレクションでのトム・フォードによるデザインは完全終了。

PPRは、2004年3月、グッチの後継者にトム・フォードの部下でレディスデザインチームのヘッドだったアレッサンドラ・ファッキネッティ(ミュウミュウ出身)をレディス部門に、メンズ部門にメンズのナンバー2であったジョン・レイ(キャサリン・ハムネット出身)、アクセサリー部門にフリーダ・ジャンニーニ(フェンディ出身)の3人を配置し、リヴ・ゴーシュの後継者は同じくトムの右腕でプラダ出身のステファノ・ピラッティを選任します。

2005年のクルーズコレクションでフリーダ・ジャンニーニは、1966年、フローラコレクション(創設者、グッチオ・グッチの息子のロドルフォとイタリアの芸術家Vittorio Accorneroが、グレース・ケリーのために季節の花と37色のカラーパターンを作成してデザインしたシルクのスカーフをイメージしたもの)を再デザイン。ジャンニーニはグッチの象徴的なバッグ、ホーボ、ジャッキー、バンブーにこの「Flora」デザインを施します。

2005年3月8日、グッチは、レディス・ウェア部門を担当していたアレッサンドラ・ファッキネッティ(ミュウミュウ出身)が、「マネージメントの不一致により辞任」と発表。後任はアクセサリー部門を担当しているフリーダ・ジャンニーニを選任します。

2005秋冬からはフリーダ・ジャンニーニが手掛けた新コレクション「グッチッシマ(GUCCISSIMA)」を開始(グッチの売上の80%はアクセサリー部門が上げており、一部では、フェンディがジャンニーニを引き抜こうとしたため、それを防ぐために、このような結果になったと噂)。

2006年2月、メンズ・デザイナーのジョン・レイ(John Ray)が「個人的な理由」で辞任。フリーダ・ジャンニーニ(Frida Giannini)がメンズラインも担当すると発表。ジャンニーニはアクセサリー、レディスに加えメンズラインも担当。

グッチの社長兼CEO、マーク・リーは、「レイの決定を尊重し、過去10年にわたるメンズラインにおける彼の貢献」に感謝を捧げた。メンズラインはグッチ販売のおよそ5パーセントを占める。

トム・フォード(Tom Ford)に続くフリーダ・ジャンニーニ(Frida Giannini)は1972年、ローマ生まれ。父は建築家、母親はアーティスト。ローマ・ファッション・アカデミーを卒業後、フェンディのレザーグッズを担当。2002年9月にグッチに移籍し、2004年3月グッチのアクセサリー部門、2005年3月、レディス部門のクリエイティブ・ディレクターに就任し、2006年2月、メンズ部門をも担当。









竹をモチーフにしたグッチバンブー図鑑


グッチ関連情報:
グッチ公式サイト グッチ・モード (グッチのファンページ。歴史、コレクション、用語の解説等)

関連書籍
1.【ザ・ハウス・オブ・グッチ】
2.【プラダ&グッチコレクション】
3.【グッチコレクション (〔2007〕)】
4.【グッチコレクション (Cartop mook―ブランドモールmini) 】
5.【高級ブランド戦争―ヴィトンとグッチの華麗なる戦い】
6.【Gucci super collection (2004)】

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